特攻の母
特攻隊員達のお世話をした
鳥濱トメ(享年89歳)
トメの孫
トメの遺志を80万人以上に語り継いできた
鳥濱明久(享年62歳)
二人が遺してきた特攻隊の歴史や真実を
次の世代へ伝えていきます
1945年、第二次世界大戦末期の沖縄戦。鹿児島知覧において、日本を守るため空に飛び立った若者達。
彼らは、家族や大切な人を守るために「命」を「使って」神風特攻を行いました。
トメが特攻隊員から受け取った遺書や写真、知られざる歴史・・・。
私達は「鳥濱トメ」「鳥濱明久」が遺してきた真実を次の世代へと伝えてまいります。
NEWS
特攻隊員達が飛び立った
知覧からの贈り物
オンラインでご購入いただけます
「薩摩の小京都」と呼ばれる鹿児島県知覧町には、地元ならではの逸品がたくさんあります。大東亜戦争末期、軍の指定食堂として、数々の特攻隊員達の心を満たしてきた「富屋食堂」。女将をしていた特攻の母「鳥濱トメ」の味を継承したのが「知覧茶屋」です。そこで料理長を務める「鳥濱拳大(トメの曾孫)」が、オススメを厳選しました。それが「とみやのおみや」です。
とみやのおみや鳥濱トメ
富屋食堂の女将で、多くの特攻隊員のお世話をしていたことから「特攻の母」と呼ばれていました。隊員らをわが子のように慈しみ、私財を投げ打ってまでも親身に接しました。
鳥濱明久
鳥濱トメの孫。資料館「ホタル館 富屋食堂」の館長。また、トメの味をそのままに受け継いだ「知覧茶屋」の店主でもある。トメから直接聞いてきた当時の真実を現代に残し、語り継ぐ為に今も伝え続け、延べ人数は80万人以上になる。
トメ/明久が知る特攻隊
特攻隊とは、1945年、第二次世界大戦末期の沖縄戦で、自分の命を国に捧げ戦闘機と共に敵船へと突撃した部隊の事です。愛する家族・日本を守るため、多くの若者が空へ飛び立っていきました。
クラウドファンディングでのご支援
ありがとうございました
目標金額300万円を、わずか2時間で達成
コロナウイルスの影響により鹿児島知覧への観光客は激減し、富屋食堂は閉館の危機を迎えていました。しかし2020年7月、クラウドファンディングにおいて目標金額を大きく上回るご支援を頂くことができました。本当にありがとうございました。
※ 当サイトは、クラウドファンディングによる支援金で運営されています。
CAMPFIRE語り手が高齢化する問題の解決へ
風化する史実を100年後にも残すために
はじめまして、鳥濱拳大(けんた)です。私の父、鳥濱明久は、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメの内孫にあたります。父は、トメから直接受け継いだ史実、遺志を30年間にわたり80万人以上に語り続けてきました。そんな偉大な功績を残してきた父を心から尊敬しています。私は今、特攻隊員の真実を伝え守り続けるため、鹿児島県知覧町にあるトメの味を受け継いだ「知覧茶屋」で料理長を務めています。これからは、私が特攻隊の真実を次の世代に残していきたいと思っています。精一杯頑張りますので、皆様からのご支援をよろしくお願いいたします。
鳥濱拳大(とりはまけんた)