特攻隊員の様々な遺品を
展示している資料館 ホタル館 富屋食堂
富屋食堂は、鹿児島県知覧町にあります。
大東亜戦争末期、軍の指定食堂として数々の特攻隊員を支えてきた場所です。
この場所を残そうと、「鳥濱トメ」「鳥濱明久」が大切に未来へと繋いできました。
現館長
鳥濱拳大
はじめまして、ホタル館富屋食堂で館長を務めております、
鳥濱拳大(とりはまけんた)と申します。
ホタル館富屋食堂は、鳥濱トメの生涯と特攻隊員達の遺品や写真を織り交ぜ、
特攻隊員達の真実をトメの証言通りに展示している資料館です。
この資料館を維持していくことが、特攻隊員達の真実と鳥濱トメの生涯を
次世代に語り継ぐ事に繋がると信じております。
何卒、特攻隊員の真実と、鳥濱トメの生涯を語り継ぐ活動にご理解とご協力を宜しくお願い致します。
鳥濱 トメ 享年89歳
鳥濱トメは、富屋食堂の女将でした。
特攻隊員のお母さん替わりとなって話を聞いたり、
明日飛立つ若者に食べたいものを自分の私財を投じて、
食材を買い料理をしていました。
また、届かないはずの手紙(遺書)を彼らから直接預かり、
家族の元へ届けたりと、特攻隊員の最期にやりたいことを
叶えてあげました。鳥濱トメは「特攻の母」と呼ばれるよ
うになり、映画や舞台、ドラマや小説など、多くのメディ
アに取り上げられました。
鳥濱 明久 享年62歳
鳥濱明久は、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメの
内孫にあたります。トメとは31年間共に暮らし、
その中でトメから直接受け継いだ史実、遺志を30
年間にわたり80万人以上に語り続けてきました。
ホタル館 富屋食堂とは
知覧は、大東亜戦争末期、沖縄に上陸した米軍に対し、
20歳前後の若者達が250kg爆弾を飛行機に積み、
敵艦に体当たりをしていった「神風特攻隊」陸軍最大の特攻基地となっていました。
軍は、特攻隊員の食事などの場として「富屋食堂」を軍の指定食堂としました。
ここでは、食事の他、身の回りのお世話などもされていました。
富屋食堂は現在、検閲を通っていない特攻隊員の遺書や写真を多数展示している
「ホタル館 富屋食堂」という資料館になっています。
資料館では、特攻隊員の遺品や遺書が展示されております。
ホタル館 富屋食堂のご案内
- 住所
- 〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡103-1
- 電話番号
- 0993-58-7566
- 営業時間
- 10:00~17:00
- 定休日
- なし
- 駐車場
- 有(付近に市営駐車場がございますのでご利用ください)
ホタル館 富屋食堂を支援してくださる皆様
特任館長武田勝彦
2016年、故・鳥濱明久氏より、知覧に100回以上通った功績を認められ、ホタル館富屋食堂の特任館長を拝命される。知覧研修や全国での講演、YouTube・TikTok等での配信を強化し、書籍〜人生を拓きたければ「知覧の英霊」に学びなさい〜を大和出版より発売。ホタル館 富屋食堂のクラウドファンディングを鳥濱拳大氏と立ち上げ、当オフィシャルサイトを制作。
武田勝彦プロフィール永久名誉館長柿﨑裕治
映画監督、脚本家、会社経営者。代表作に、鳥濱トメと特攻隊員の真実の物語を描いた舞台「帰って来た蛍」、映画「さつまおごじょ」のほか、「ウスケボーイズ」、「第二警備隊」など。故・鳥濱明久氏から貢献を認められ、ホタル館 富屋食堂の永久名誉館長に任命される。知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会理事長、株式会社カートエンターテイメント代表取締役。
カートエンターテイメント特任館長赤羽潤
鳥濱トメの二女、礼子の二男。二歳から高校まで知覧の鳥濱トメのもとで特攻隊員の話を聴いて育った。現在は、礼子が新宿に開業した「薩摩おごじょ」を受継ぎ店主を務める傍ら、祖母と母の遺志を継いで精力的に語り部をしている。礼子と鳥濱明久が共同初代館長であった、ホタル館富屋食堂の特任館長。「誰もが一度は知覧へ足を運んで欲しい」と話す。知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会顧問、南九州市観光大使。
薩摩おごじょ観光親善大使井上敬一
元ホストクラブ経営者で現在は研修講師。若者達をホストの仕事を通じ体当たりで教育する姿がドキュメント番組で10年間取り上げられる。彼らの教育で知覧を訪れ始め、現在も合宿を行っている。
知覧立志合宿知覧特攻の母鳥濱トメ顕彰会
鳥濱トメが伝えてきたのは、若い特攻隊員が尊い命を賭して守りたかった、愛する者への想いでした。当会では「鳥濱トメと特攻隊」講演会の開催、映像資料の提供、関連舞台の共催、関連書籍の出版、慰霊祭などの各種事業を通じて鳥濱トメの功績を顕彰し後世に遺す活動をしています。
NPO法人 鳥濱トメ顕彰会